くわこの日常

日常のインプットをアウトプットするブログです

回復系呪文「マデーニ」を唱えて、今日もストレスと向き合う

私がまだ小学生の頃。母も叔母も周りの女性たちは、何かとよく手を動かしていた。その頃は「手芸」と言っていたが、最近では「ハンドメイド」と呼ばれているものだ。

種類はいろいろある。母は編み物や裁縫が得意だった。私達の洋服やセーターくらいは、暇を見つけてよく作ってくれた。叔母達もビーズ細工やマクラメ編みなど、様々なものを作っていたのを覚えている。

そんな環境にいた私も、当然手芸好きになった。今も体のサイズに合わず、細々した作業が好きである。

 

最近は「こぎん刺し」にはまっている。はまったきっかけは「WANATO」というこぎん刺しユニットのワークショップに参加したことだ。青森に伝わる刺繍で、補強と防寒のために野良着を刺したのが始まりだそうだ。刺繍と言っても平織りの布目をカウントしながら刺していく。

「布の表に4目、裏に3目、表に1目、裏に3目……」

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ただの線だった糸が重なって、いつのまにか美しい模様が出来上がる。

出来上がるはず……ん? なんか模様がずれていないか?

5段前に1目ずれて刺していた。

「あーっ! もうっ!!!!」

頭をガシガシしたくなるくらいのイライラ!

「どうせ売り物じゃないし、自分が気にしなければ大丈夫……」

と、このまま進めるのか、5段分をチマチマとほどいて戻るのか

「うーん……」

モヤモヤするくらいなら、最初からこぎん刺しなんかしなければいいのだ。そしたら、肩もこらないし、目もしょぼしょぼにならない。

 

そんな時、ユニットの1人(青森出身)が、こんな青森弁を教えてくれた。

「マデーニ、マデーニ」意味は「丁寧に、丁寧に」

 

呪文のように「マデーニ、マデーニ」とつぶやきながら、一刺し、一刺し、無心に刺していく。

ただの線だった糸が重なって、いつのまにか美しい模様になる。

あんなにモヤモヤしていた気持ちが、いつのまにか落ち着いている。

イライラで消耗したHPが呪文「マデーニ」で回復している。

 

消耗したり、回復したり、どうしてこんな事を好き好んでやっているのか、今まで考えたこともなかった。でも客観的に見たら相当アホなことをやっているので、改めて考えてみた。

 

思いついたメリットは2つ。

1つ目は「達成感」

イライラやモヤモヤを乗り越えて、1つの作品が出来たときの喜び。これは作った本人だけが感じられるものだ。もちろん、自分のための作品でもできあがれば嬉しい。もし、それが「誰かのための作品」で、その誰かが喜んでくれたら、もっともっと嬉しい。

 

息子たちがまだ幼稚園生の頃。夏休みに「夕涼み会」が開催されていた。そのイベントのために、2人分の甚平を縫った。長男は目がクリッとして可愛い系の顔なので、あえて和風で渋めの柄を選んだ。逆に次男はおっさん顔のおっさん体型で、渋めの柄だと「小さなおっさん」になりかねない。だからカラフルなハイビスカス柄で作ったのに、口の悪いダンナの友達は「高木ブー」と大うけ。

「うちの大事な息子に何を言う!」と思ったけど……。「小さな高木ブー」もそれはそれで可愛かったし、なにより息子本人が喜んで着てくれた。

正直に言うと私は裁縫が苦手で、この2枚の甚平のために相当イライラ・モヤモヤしたことを覚えている。でも、満面の笑顔で「母しゃん、ありがとう」と言われたら、達成感MAX喜びMAXである。

 

メリット2つ目は「無心」

趣味と呼ばれるものは、本人にとっては「ストレス解消」になっていることが多い。手芸のイライラ・モヤモヤも「ストレス」と言えば「ストレス」だが、それは出来上がりの達成感で昇華されてしまう。

ここで言うストレスは、仕事とか、やりたくない家事とか、面倒な人間関係とか……。そういうストレスである。

 

できれば考えたくない、やりたくない、見なかったことにしたい……。でもそういう訳にもいかない。そんな時、突然掃除を始めたり、勢いで部屋の模様変えをすることはないだろうか? これは、完全に「現実逃避」である。

 

しかし、私にとって手芸は「現実逃避」ではない。逃げてるわけではないのだ。

逃げられないからこそ、ひたすら手を動かす。頭を空っぽにして手を動かす。

「布の表に4目、裏に3目、表に1目、裏に3目……」

頭の中は編み目のカウントだけになる。ざわざわしていた心が少しずつ落ち着いてくる。逃げずに向き合う、そんな気持ちの余裕ができてくる。

 

私は経験がないが、もしかしたら「写経」とか「読経」って、同じような効果があるのではないだろうか? 余計な事を考えずに無心になる。そのためにひたすら手を動かしたり、ひたすらお経を声に出す。仏様に怒られそうだが、お経の意味とか分からなくても構わないのではないだろうか。

私にとっての手芸は、お経みたいなものかもしれない。あぁ、だから編み物のような「カウントする」手芸が私は好きなんだ。裁縫が苦手なのは、カウントしないタイプの手芸だからか。

 

うん、やっぱり、手芸はやめられない。