くわこの日常

日常のインプットをアウトプットするブログです

肉好き集まれー!

「うーん……さむっ。あー、もう起きなきゃ。10時半から取材……。

!!!!! 11時!! はぁ? やらかしたーっ!!」

 

……と慌てて起きたら、外は真っ暗。は? あ、夢? まだ6時ですか。

あるフリーペーパーに、記事を書かせてもらうことになったので、今日はその初取材。この歳になっても初めてのことなので、緊張していたのかもしれない。

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佐賀駅南の「BAR-B-QUE FACTORY Nutters」 

アメリカンダイナーをイメージさせる明るい店内。あちこちにグリーンが置いてあって、入りやすい雰囲気だ。

店長の山田さんにお話を聴く。今回のテーマは「テイクアウトメニュー」だ。店長オススメは「ハンバーガーセット」だが、他にもサンドイッチやデザート類など、テイクアウトメニューだけでも充実している。

 

本当は店内でも食べたい……けど、外で写真も撮らないといけないし……かなり悩んでオススメの「ハンバーガーセット」をお持ち帰りに。

急いで写真を撮って、一口がぶり! は!! 何この噛みごたえ! ファーストフードのハンバーガーをイメージしていたら、大間違いだ。パティとかそんな可愛い(?)ものではなくて、THE 肉! 肉の塊! シンプルな味付けで、ソースとかかかっていないので、かえって肉の旨みを感じられる。

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「うちの特徴は、ハンドチョップしているので、肉々しいというか、肉感を感じられるんです。ハンバーグ……というより、ステーキくらいの感じです」

店長の言うとおり! そう、ひき肉じゃないのだ。小さなステーキがかたまっている感じ。「ひき肉料理は肉じゃない」と言い放った息子に食べさせたい!(学生じゃないからおごらんけど)

 

でも、こんなハンバーガーって佐賀では珍しいような。私が知らないだけなのかな?「佐賀では見ないと思います。以前、東京で食べたハンバーガーにショックを受けたんです。うちの店、けっこう攻めてると思いますよ」

24時まで営業しているので、アルコール類も充実している。ウイスキーやバーボン、リキュールのボトルも並んでいる。テーブルに置いてあるメニューには、なんと日本酒まで! 男女問わず、幅広い年齢層に人気があるのもうなずける。ランチに子供連れで来ても大丈夫なように、ソファ席も作ったそうだ。この気遣い、ママたちには嬉しいと思う。

 

テイクアウトが充実しているのも、ちゃんと店長の思惑があるんだそうだ。

「たとえば『Nutters』って書いた袋を持ってウロウロしてもらえたら、宣伝にもなりますよね。福岡とかで『え?そのお店どこ?』なんてうわさになったら嬉しいです」

なるほど! しっかりしたケースと大きめの袋に入れてくれるので、食べた後も袋を持ってウロウロしましょう。

 

ランチからディナー、テイクアウトと様々なシーンに対応できるのも嬉しい。

けど! 何が魅力かって、肉! 肉の美味しさ! 

さぁ、肉好きは佐賀駅南に集まれー!

落語が300年続く理由を考えてみた

テケテンテンテン、ツクテンテンテン

軽快な出囃子に乗って噺家が登場します。

「毎度、馬鹿馬鹿しいお話を一席……」

 

伝統芸能の一つとは言え、落語は庶民の娯楽。肩肘張ってみるものではありません。東京にある常設の寄席だと、飲食OKだったりします。チケット(木戸銭)の価格も手頃で、気軽に楽しめます。

 

……と、わかったような事を書いていますが、ほんの1年前まで落語のことは全く知りませんでした。ただ、子供の頃から「笑点」はよく見ていましたし、最近は落語が舞台のドラマや漫画をよく目にします。「なんだか面白そう……」と興味はあるものの、ちょっと敷居が高いような……。どこに行ったら観ることができるのか、話の内容を知っておいた方がいいのか、周りに落語好きの人はいないし……。

 

そんな時、よく行く図書館のAVコーナーに落語のCDを見つけました。「昭和の大名人○○○ 独演会」とか、そういうCDです。早速借りて聴いてみました。

 

「……?」

 

ボソボソとしゃべってて、何を言ってるのか全くわかりません。そりゃ何十年も前の録音なので、音質が悪いのはしかたありません。でも、これの何が面白いのか、どうして江戸の昔から続いているのか、頭の中は「?」でいっぱいです。

 

その「?」を抱えたまま、よく行くカフェで寄席があると聞いて行ってみました。ライブで観て、それでも「?」だったら、たぶん私には落語の面白さを感じるアンテナが立っていないという事なのでしょう。

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元々狭いカフェの一番前の席で、噺家さんとの距離は約1m。相撲の「砂被り席」ならぬ「つば被り席」です。私も話すことが仕事なので、この距離がどれだけしゃべり辛いかわかります。それでもさすがプロ! 話にどんどん引き込まれていくのが、自分でもわかります。あのCDは何だったんだろう? どうしてこんなに面白いんだろう? 

 

CDに無くて、ライブにあるもの。身振り手振り、顔の表情……。手拭いと扇子で様々な物を現し、顔の向きだけで登場人物を使いわけます。情景が目に浮かび、江戸時代にタイムスリップしたような気持ちです。そして観ているお客さんの反応、そういう全てが落語の面白さに繋がっています。何もわからない初心者が、CDで音声だけ聞いても「?」なのは当たり前でした。

 

その日から私は落語が大好きになりました。平均月1回のペースで寄席に行きます。Apple musicの落語チャンネルを聴いたり、youtubeで亡くなった名人の映像をみたり、TVの番組もチェックします。噺家さんのエッセイや入門書の類も読みました。前座修行の事や、江戸落語上方落語の違いを知ったり、少しずつ演目も覚えました。

 

敷居が高いと、遠ざけてた自分がバカみたいです。でも、どうしてこんなに落語って面白いんでしょう?

 

落語の登場人物といえば、「八っつぁん、熊さんに馬鹿の与太郎、横丁のご隠居さん」などと言いますが、どの人物も周りにいそうな、ちょっとダメな人たちばかりです。歴史上の人物のような立派な人はいません。「もう、バカだなぁ」と思いつつも、他人事とは思えません。「あー、私も同じことやった……」「こんな人、いるいる」

話の内容も難しい事は出てきません。庶民の日々の生活が舞台です。話し言葉を中心に、テンポよく進んでいきます。家でゴロンとなりながら、テレビでホームドラマを見ているような、そんな気軽さです。

 

落語の登場人物に共感しているうちに、なんだか自分の事のような気がしてくる。

しかも、落語には、難しい表現も華美な表現もありません。説明しなくても、会話でどんどん話が進んでいきます。最後には「落ち」がついて、すっきりした気持ちで終わります。

 

たぶん、噺家さん達はそう感じさせるための技術を、必死でみがいているのでしょう。でもそんな事はお客さんには、全く感じさせません。どうしたらお客さんが喜んでくれるのか、面白いと感じるのか、それを考え続けることを「修行」と呼ぶのかもしれません。

このスタンスがあるからこそ、落語が300年続いてきたのだと気がつきました。

 

落語ではありませんが、私も「人と話すこと」「相手に伝えること」を生業としています。どうせなら、相手が面白く喜んでもらえるように、考え続けていこうと思います。

まだ高座にすら上がれていないかもしれないけど……。真打を目指して修行に励みます。

 

アンテナの感度が鈍い私は幸せなのか?

「あぁーっ!」

私の前のデスクで、新入社員が頭を抱えている。まだ20代だが、彼女は管理栄養士である。

「どうした? 保育園で何かあった?」

わが社は、企業内認可保育園を先月初めて作った。そこで提供する給食の献立を担当しているのだ。

「ついに出ました。アレルギー……」

給食に出した桜エビで、一人の園児にアレルギー症状が出たのだ。わが子にアレルギーがあるとは、保護者も知らなかったらしい。

今後は別メニューを提供することになる。おそらく献立作成も調理も手間が増えるだろう……というのは、素人の私でも想像がつく。

 

この数十年、食物アレルギーはどんどん増えているように感じる。アレルギーを持つ人数だけでなく、原因となる食材の種類も増えているのではないか。卵、牛乳、そば、甲殻類などはよく知られている。ほかにどんな食材でアレルギーがでるのか、管理栄養士の彼女に聞いてみたら驚いた!

玉ねぎ、にんじん……ほとんどの料理に入ってるよね?

サラダオイル……この子はなぜか紅花油だけokだったらしい。

バナナ、オレンジ、ゼラチン……ケーキ屋さんには行けないね。

 

私にも息子が二人いるが、幸いにも何のアレルギーもなかった。私は自由に食べさせられたし、息子たちも食べたいものを普通に食べていた。もし息子たちが食物アレルギーだったら、食事を作るのはさぞ大変だっただろう。加工品に入っていないかいつも気にして、外食なんて怖くてできないかも。手抜きで弁当を買ってくるのもダメだ。

楽しいはずの食事が、ちっとも楽しくない。息子たちにアレルギーがなくて、神様、本当にありがとうございます。

 

私自身もアレルギーは何もない。食物どころか花粉にもPM2.5にも反応しない。いろんなものに対するアンテナが相当鈍いのだろう。そんな私でも最近「きゅうくつだなぁ」と感じることがある。「〇〇ハラスメント」という言葉だ。

 

セクハラ……そりゃ嫌ですよ。パワハラ……絶対ダメです。マタハラ……妊娠、めでたいことじゃないですか。え? 血液型ハラスメントとかもあるの?

今まで我慢していた人達が、「やめてください!」って声を上げれるようになって良かったと思う。

……でも。この〇〇ハラスメント、同じことでも感じ方が人によって違う。まるでアレルギーみたいに。

 

私はハラスメントのアンテナも少し鈍いのかもしれない。

男性ばかりの職場に毎日販売に行くと、セクハラめいた話になることがまぁまぁある。

別に触られるわけではないし、私にとっては「明るいエロジョーク」くらいの感じだ。子供二人も産んどいて、目くじらたてる様なことでもない。

ところが、引き継ぎのために新人スタッフを連れていった日。いつもの様な「明るいエロジョーク」だったのだが、新人スタッフには刺激が強かったのだ。顔色を変えてしまった。

凍り付く空気。そこでの売り上げは激減し、その新人スタッフは辞めてしまった。彼女にとっては完全に「セクハラ」だったのだ。

私の失敗だった。彼女のアレルギーに気がついていなかった。

 

人はみんな感じ方が違う。同じ言葉でも、平気な人もいれば、死ぬほど傷つく人もいる。その違いは仕方ないことだし、当たり前なことだ。

 

でも、〇〇ハラスメントと名前をつけて、すべてを否定するのはなんだか窮屈だ。

 

「桑原さん、最近ちょっとやせました……?」20代の男性社員が恐る恐る言ってきた。

「もう~やっと気が付いてくれた? けっこう頑張ってやせたんだけど~」

「いや、やせたとかそういうの、セクハラになるかと思って……言えませんでした」

はぁ? 『やせた』『きれいになった(とは言われていないが)』私にとっては誉め言葉だ。どんどん言ってほしい。私はほめられて伸びるタイプなのに。

 

わが社は女性スタッフが圧倒的に多い会社なので、若い男性社員は気を使っているのだ。申し訳ないが、初めてそのことに気が付いた。あんまり気を使いすぎて、貴重な男性社員が辞めると困る。こちらも言動には気をつけなければ……。

あれ? う~ん……なんだか息苦しい。

 

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嫌なことは「嫌です!」と言える雰囲気。そんな風通しのいい雰囲気があれば、いいのだ。言われたほうも、「あ、嫌なんだ」と気が付いて止めればいいのだ。だって、みんな感じ方は違うのだから。

 

理想論かもしれない……。でも! 周囲全員に知らせるように「〇〇ハラスメント!」ってレッドカードを出すのは、違う……と思ってしまうのだ。そんな事より、本人に「やめてください」って言おう。

嫌なことを我慢することはない、本人に言おう。直接言うのは勇気がいるから、お守りのための「〇〇ハラスメント」ならいいと思う。使い方なのだ。

 

そういう信念のもと、上司にも「それ、違いませんか?」という事が……多々ある。当然、直属の上司に思いっきり嫌われたこともあった。でも、理解してくれる人もたくさんいるし、仕事自体は楽しい。

そういえば、今年の4月には勤続20年を迎える。なんだかんだ言っても、居心地いいんだと思うな、うちの会社。定年まで頑張りますので、よろしくお願いします、社長!

 

ホールインワンとか、めったにありませんから

ピンポーン……(沈黙)

「おはようございます。ヤクルトの桑原と申します。今日は、商品のご紹介でご近所をまわっております」

「うちには子供はいませんから、結構です」

「あ……いえ、今日は大人の方向けの……」

ブチッ

全部言う前に、インターフォンを切られてしまった。

はぁ……。話くらい聞いてくれてもいいのに。玄関くらい開けてもいいじゃん。

 

数年前まで、私は某乳酸菌飲料の営業職だった。

お届けはその地区を担当しているヤクルトレディが行う。私は、新規顧客をつくるのが仕事だ。

仕事ですけど……それで生活しているんですけど。

インターフォンを押しても、押しても、断られる。なかなか簡単にお客さまはできない。「心折れる」とは、こんな日の私のことだ。

 

ヤクルトはよく「農耕型ビジネス」と言われる。

種をまいて、水を与え、育てる。時間をかけて育てた実を収穫する。

最初の種まきは私達営業社員が行うこともある。しかし、お客さまとの関係を育てていくのは、ヤクルトレディの役割だ。

 

基本的にヤクルトは契約ではないので、毎回、その時必要な分を買ってその都度支払っていただく。だから、定期的に訪問していても、購入がないこともよくある。

それでも、会って顔を見せてコミュニケーションをとることが、最終的には継続的な飲用に繋がる。

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農耕型ビジネスと呼ばれるが、どちらかと言うと「ゴルフ」に似ている。ホールインするまでには、何度も何度もボールを打つ。慣れないうちはあっちに飛んだり、こっちに飛んだり。でも、あきらめずに打てば少しずつでもホールに近づくのだ。(たぶん)

 

「あんた、また来たとね。もう、無理して来んでもよかよ」

「いえいえ、近くまで来ていますので、たまに顔を出しますね。風邪ひかんように気をつけといてください」

買ってもらえなくても、とりあえず玄関まで来て顔をだしてもらえるならOKなのだ。一言でも話せたら、10ヤードくらいは近づけたのだ。聞く気が無い相手に商品を勧めても「押し売り」ととられかねない。それなら、「庭の花がきれいですね」とか雑談をして20ヤードかせぐ……それを積み重ねていくのが、私達のやり方だ。

 

なんだか無駄なことが多い気がする。時間もかかる。もちろん、ホールインする前に拒否されることもある。でも、苦労して近づけたお客さまは、他の何にも代えがたい。給料の源というだけではない、大切な存在になっていく。

 

年末にある地区で、新規開拓をしたことがある。

その地区を元々担当しているヤクルトレディが、不安そうな顔をして私のところに来た。

「いつも訪問している○○さんの様子がおかしいんです」

一人暮らしのおばあちゃんで、留守のときは必ず連絡をくれるそうだ。ところが、今日は声をかけても返事がない、連絡もない。ポストを見ると新聞が3日分もたまっている。

「胸騒ぎがするんです」

近所の床屋さんが一緒に来てくれて、声をかけるがやっぱり返事がない。けっきょく警察を呼んで開いた窓から入ってもらうと……階段の下で倒れて意識不明の状態だった。おそらく3日前に階段から落ちて、そのまま動けなかったらしい。あと数時間遅れていたら、亡くなっていたと救急隊員が話していた。

 

その時一緒に来てくれた床屋さんが感心してこう言っていた。

「ヤクルトさんは週に1度しか来ないのに、日頃からコミュニケーションがとれている。だから様子がおかしいと気づいたんだね。素晴らしい!」

こんなふうに人命救助をした例はいくつもある。そんなに大事ではなくても、お客さまの体調や持病など、担当ヤクルトレディはお客さまのことをよく知っている。毎回、ただ保冷箱に入れてくるだけのお届けなら、そんなことにはならない。

 

10年後には多くの仕事がロボットやAIにとってかわられる、とよく聞く。でも、おそらくヤクルトレディの仕事は残るだろうと思っている。ヤクルトが欲しいだけなら、今でもスーパーに行けばいろいろな種類が売っている。届ける人の顔と飲む人の顔がわかっていて、信頼関係ができている。そういうつながりを求める人は、決して少なくないと思うのだ。

 

「こんにちは ヤクルトの桑原です。今日はセールのお知らせがあったので、お持ちしました」

「あんたも、あきらめないねぇ。セールって何ね?」

「新しい商品が出たので、お試しキャンペーンが始まったんですよ」

「ふーん……花粉症に効くとね? ヤクルトは甘いから飲まんけど、息子が花粉症で困ってるとよ」

「あら、息子さんがいらっしゃったんですか。花粉症、つらい季節ですね。薬じゃないので絶対効くとは言えないですけど、試す価値はあります」

「あんたがそこまで言うなら、1回飲ませてみようかね」

「ありがとうございます!」

今日は50ヤードくらい近づけました。

 

ホールインワンなんて、プロゴルファーでもめったにありません。

でもゴルフが上達してくると、最短距離でホールに近づくことができるようになります。

1歩でも距離を縮めて、お客さまに健康になっていただきたい。そのために、ヤクルトレディは今日もお客さまを訪問しています。

 

回復系呪文「マデーニ」を唱えて、今日もストレスと向き合う

私がまだ小学生の頃。母も叔母も周りの女性たちは、何かとよく手を動かしていた。その頃は「手芸」と言っていたが、最近では「ハンドメイド」と呼ばれているものだ。

種類はいろいろある。母は編み物や裁縫が得意だった。私達の洋服やセーターくらいは、暇を見つけてよく作ってくれた。叔母達もビーズ細工やマクラメ編みなど、様々なものを作っていたのを覚えている。

そんな環境にいた私も、当然手芸好きになった。今も体のサイズに合わず、細々した作業が好きである。

 

最近は「こぎん刺し」にはまっている。はまったきっかけは「WANATO」というこぎん刺しユニットのワークショップに参加したことだ。青森に伝わる刺繍で、補強と防寒のために野良着を刺したのが始まりだそうだ。刺繍と言っても平織りの布目をカウントしながら刺していく。

「布の表に4目、裏に3目、表に1目、裏に3目……」

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ただの線だった糸が重なって、いつのまにか美しい模様が出来上がる。

出来上がるはず……ん? なんか模様がずれていないか?

5段前に1目ずれて刺していた。

「あーっ! もうっ!!!!」

頭をガシガシしたくなるくらいのイライラ!

「どうせ売り物じゃないし、自分が気にしなければ大丈夫……」

と、このまま進めるのか、5段分をチマチマとほどいて戻るのか

「うーん……」

モヤモヤするくらいなら、最初からこぎん刺しなんかしなければいいのだ。そしたら、肩もこらないし、目もしょぼしょぼにならない。

 

そんな時、ユニットの1人(青森出身)が、こんな青森弁を教えてくれた。

「マデーニ、マデーニ」意味は「丁寧に、丁寧に」

 

呪文のように「マデーニ、マデーニ」とつぶやきながら、一刺し、一刺し、無心に刺していく。

ただの線だった糸が重なって、いつのまにか美しい模様になる。

あんなにモヤモヤしていた気持ちが、いつのまにか落ち着いている。

イライラで消耗したHPが呪文「マデーニ」で回復している。

 

消耗したり、回復したり、どうしてこんな事を好き好んでやっているのか、今まで考えたこともなかった。でも客観的に見たら相当アホなことをやっているので、改めて考えてみた。

 

思いついたメリットは2つ。

1つ目は「達成感」

イライラやモヤモヤを乗り越えて、1つの作品が出来たときの喜び。これは作った本人だけが感じられるものだ。もちろん、自分のための作品でもできあがれば嬉しい。もし、それが「誰かのための作品」で、その誰かが喜んでくれたら、もっともっと嬉しい。

 

息子たちがまだ幼稚園生の頃。夏休みに「夕涼み会」が開催されていた。そのイベントのために、2人分の甚平を縫った。長男は目がクリッとして可愛い系の顔なので、あえて和風で渋めの柄を選んだ。逆に次男はおっさん顔のおっさん体型で、渋めの柄だと「小さなおっさん」になりかねない。だからカラフルなハイビスカス柄で作ったのに、口の悪いダンナの友達は「高木ブー」と大うけ。

「うちの大事な息子に何を言う!」と思ったけど……。「小さな高木ブー」もそれはそれで可愛かったし、なにより息子本人が喜んで着てくれた。

正直に言うと私は裁縫が苦手で、この2枚の甚平のために相当イライラ・モヤモヤしたことを覚えている。でも、満面の笑顔で「母しゃん、ありがとう」と言われたら、達成感MAX喜びMAXである。

 

メリット2つ目は「無心」

趣味と呼ばれるものは、本人にとっては「ストレス解消」になっていることが多い。手芸のイライラ・モヤモヤも「ストレス」と言えば「ストレス」だが、それは出来上がりの達成感で昇華されてしまう。

ここで言うストレスは、仕事とか、やりたくない家事とか、面倒な人間関係とか……。そういうストレスである。

 

できれば考えたくない、やりたくない、見なかったことにしたい……。でもそういう訳にもいかない。そんな時、突然掃除を始めたり、勢いで部屋の模様変えをすることはないだろうか? これは、完全に「現実逃避」である。

 

しかし、私にとって手芸は「現実逃避」ではない。逃げてるわけではないのだ。

逃げられないからこそ、ひたすら手を動かす。頭を空っぽにして手を動かす。

「布の表に4目、裏に3目、表に1目、裏に3目……」

頭の中は編み目のカウントだけになる。ざわざわしていた心が少しずつ落ち着いてくる。逃げずに向き合う、そんな気持ちの余裕ができてくる。

 

私は経験がないが、もしかしたら「写経」とか「読経」って、同じような効果があるのではないだろうか? 余計な事を考えずに無心になる。そのためにひたすら手を動かしたり、ひたすらお経を声に出す。仏様に怒られそうだが、お経の意味とか分からなくても構わないのではないだろうか。

私にとっての手芸は、お経みたいなものかもしれない。あぁ、だから編み物のような「カウントする」手芸が私は好きなんだ。裁縫が苦手なのは、カウントしないタイプの手芸だからか。

 

うん、やっぱり、手芸はやめられない。

 

体を温めて心を癒す、いい匂いがして、そしてフリーダムなもの

「フン、フン、フン」「あ、これ好きかも」「え? この木の皮も?」「クン、クン」

10人ほどの参加者が、それぞれ容器を自分の鼻に近づけている。その様子は、知らない人がみたら、けっこう異様な光景かもしれない。

みんなが匂いを嗅いでいるのは、様々なスパイス。今日はand CURRYのユキナさんを迎えてスパイスワークショップが開催されているのだ。

 

「スパイス」と言えば……。時々無性に食べたくなるカレーは、スパイスの塊のような料理だ。ただ、家で作るのは、箱に入ったルーを使ったいわゆる日本的なカレーだ。とろみがあって、ご飯によく合い、付け合わせは福神漬け、そんなカレーだ。

 

そんなお母さんの「カレー」ではなく、もっとスパイシーでエスニックで本格的な「カリー」を無性に食べたかった時期がある。最初、理由はわからなかった。昨日、無印良品グリーンカレーを食べたのに、今日もなんだか食べたい。インド人が作る本格的なインド料理の店に食べに行く。バターチキンとキーマカリーをナンに付けて食べる。その翌日は近所のカフェでスリランカカリーを……。寝ても覚めてもカリー。スパイスが私を呼んでいる! いや、私の体がスパイスを求めている! なんだ、この状態?

 

そんなカリー依存症の状態が1週間ほど続いたのは、8月の下旬。ふと気が付けば、暑さと冷房の温度差で、かなり体がばてていた。食欲が落ちるとか、わかりやすい夏バテなら早く気付いたのだが、私はそうではなかった。暑いのに手足が冷たい、汗がでない、寝てるのにだるい。体の異変を頭が感じるより前に、先に体の方がスパイスを欲していたのだ。血行を良くして、体の隅々まで血液を送り、体温を上げる。香りは、自律神経に直接働きかけて、体調を整える。まるで薬膳だ。

 

体が欲しているなら、その声に応えよう! 体のためにカリーを食べるのだ! 昔はスパイスは薬だったのだ! カリーを食べて健康になろう!

 

そう思ったものの、スパイスってどう使ったらいいのか、よくわからない。最初からキットになっているスパイスを使うのが、精一杯。たくさんのスパイスを揃えても、レシピもないし、失敗しそうだし。うーん……。スパイス、難しい。

 

家では無印良品のレトルトカリー。本格的なカリーが食べたくなったら、店に食べにいく。そんな中途半端な私がフェイスブックで見つけたイベントが、冒頭のスパイスワークショップだ。

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7ルールというテレビ番組でも紹介されたand CURRYのユキナさんは、店を持たずいろんな所でカリーを作る「流しのカリー屋」だ。そういえば私が好きな「旅するクーネル」のイノウエさんも、店を持たず車で移動販売をしている。2か月くらい家族でインドに行って帰って来なかったりする。最近では「間借りカリー」というのも流行っているらしい。営業時間外の飲食店を間借りして、カリーを出す店が増えているのだ。

 

「皆さん、どのスパイスの匂いが好きですか? 今日は皆さんの好みでカリーを作ってみましょう」

ワークショップというから、カリーのレシピを教えてもらうのかと思っていたら、そうではなさそうだ。

「カルダモン? 甘くて華やかな香りですね。女子力高めって感じかな~」

「クミン! ザ・カレーって感じですよね。でも、どこか和風な感じしません? 畳というか、おばあちゃんの家の匂いっていうか……」

スターアニスは中華料理の八角ですよ。豚の角煮の匂いでしょ? でもこの星の形! 可愛いですよね」

ニコニコ笑いながらスパイスを見て「可愛い」というユキナさんが、一番可愛かった。

「じゃ、今日はちょっと男前な感じがいいかな? 辛めでも大丈夫ですか? ペッパー多めにして……。うん、こんな感じ、自由に入れちゃっても何とかなります」

 

なんて、フリーダムなんだ! スパイスってこんなに適当でいいんだ。実際、出来上がったカリーはとても美味しかった。でも、午前中のワークショップとは、全く違うカリーになったそうだ。配合とか、秘伝のレシピ的なものとか、難しく考えてたけど、もっと自由なものなんだ。確かに和食の職人さんとか、フレンチの達人とかと比べると、カリーを作る人ってフリーダムな感じの人が多い気がする。おおらかと言うか、ちょっと違う目線で生きてるというか……。

 

「ドン引きされると困るんですけど……」

ユキナさん、唐突に何をいいだすのかと聞いていると

「私、死んだらお焼香の代わりにスパイスを焚いてもらって、そのスパイスも棺桶に入れ

るつもりなんです。火葬場中がスパイスのいい匂いに包まれるって、素敵でしょ?」

 

さすがに葬式のことまでは考えてないけど……。ちょっと疲れた時、お風呂に入浴剤を入れるような感じで、料理にスパイスを使う。体が温まって、血行がよくなる。心がほぐれてくる。温泉やお風呂にゆっくりつかるように、スパイスの香りにつつまれる。頑張らなくても、体の中から元気になれそう。そんなゆるい感じも好きだな、スパイス。

人生に迷ったときは猫にきけ!

あなたは猫派? それとも犬派ですか?

 

早朝……まだ薄暗い時間。布団の中の心地よさ。

その心地よさを容赦なく破る、猫の声。

『さっさと餌を準備しろ~』

もうっ! もうちょっと寝かせて……。枕の横に座って見下ろさないで。

わかりました。準備しますから。あーそんなに足にまとわりつかないで。

 

私は猫派です。

毎日、猫の世話をしています。餌を準備し、水は欠かさない。トイレの掃除。ノミがいないかチェックし、病院で予防接種をする。

たまにはおもちゃで遊びます。でも気に入らなければ、目もくれてもらえません。

だっこしたくても、猫がその気にならなければ、逃げられます。

 

猫は自由です。自分の気持ちに正直です。

 

私が世話をしなければ、本当は生きていけないはずです。

それなのに、世話をしている私に対する遠慮。そんなものは、ノミの目玉ほども感じていません。

『世話をしてもらっている? いや、世話をさせてやっているのだ』

そのくらいに猫は思っているかもしれません。

 

たしかに、私がいなければ猫は生きていけない。でも、私も猫がいない生活なんて考えられない。私と猫は対等な関係です。

 

猫以外でこれだけ最強な生き物がいるでしょうか? 赤ちゃんはかなり近い存在です。

どんなに育児が大変でも、それを一瞬で帳消しにしてしまう。そんな最強の武器「笑顔」を赤ちゃんは持っています。

 

ところが、赤ちゃんや猫に負けないくらいの「大人」がいたんだそうです。かわいらしくもない、30代の男性です。

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今日、この映画を観ました。

「こんな夜更けにバナナかよ~愛しき実話」

主人公の鹿野靖明さんは、筋ジストロフィーで首から下が動かない。それでも、病院も家族の介護も拒否して、ボランティアの助けをうけながら、自立して生活している。

 

と言えば、なんだか美しい実話のようですが……まあ、わがまま言うわ! 夜更けにバナナ食べたいとか、いったい何様?

 

呼吸さえ不十分になって入院したのに、英検受験のためにむりやり退院してしまう。そばにいるボランティアがこう言います。

「鹿野さんのわがままは、命がけなんだよ」

わがままを言ってボランティアから見捨てられたら、死んでしまいます。それでも、自分の気持ちに正直に生きることを貫くのです。アメリカに行くという夢を捨てないのです。

 

逆に周りのボランティアの方が、正直になれません。相手に好かれたいからウソをつく。自分に対してウソをついて目標を見失う。

 

やりたくもない仕事をするとき、聞きたくもない話に愛想笑いをするとき。当たり障りなく、平和に生活していくには必要なウソです。私も、そう信じて生きています。

でも、それを真っ向から否定して、自分だけでなく相手にも正直さを求めたのが鹿野さんです。

「きみ、何をやりたいんだよ?」

こう聞かれて、即答できる人がどのくらいいるでしょう? 一つウソをつくと、そのウソのためにまた違うウソをつく。自分ではウソだと気づかない場合もあります。

何がウソで、どれが本当の気持ちなのか、わからなくなってしまう。「わからない」ということに、気が付かないふりをすることもあります。

 

迷走しているボランティアに鹿野さんはこう言います。

「悩んでいるなら、相談してくれよ。友達じゃないか」

24時間世話をしてくれているから、その恩返しに……そうではないのです。「友達」という対等な立場で、相手のボランティアを思いやっているのです。

 

こんなシーンがありました。

退院祝いのパーティーで、鹿野さんが「みんな、ありがとう」とお礼を言う。

それに対して、司会のボランティアが涙ぐみながら「こちらこそ、ありがとう」

自分の弱さも相手の弱さも、すべて認めて受け入れている。鹿野さんも、ボランティアも、同じように受け入れている。そんな感じがしました。

 

そんな鹿野さんが、唯一ウソをつき通したのが「おかあちゃん」に対してでした。

「くそばばぁ、もう帰れ!」

息子の病気は自分のせい……と責めているのではないか。もっと自由に生きてほしいから、家族の介護を拒否してしまう。「おかあちゃん」は、そんな鹿野さんの気持ちを全部わかっていたんだと思います。

 

相手のための行動に対し、何かの代償を求める。それは「お金」だったり、「自分に対する愛情」だったり、「将来の約束」だったり……。もっと単純に「笑顔」だったり。

それでは、のべ500人のボランティアは、鹿野さんから何を受け取ったのでしょう?

「自由で正直な生き方」「すべてを受け入れる強さ」ではないでしょうか?

こんなものを当たり前のように持っている人は、めったにいません。

もし、身近かにいるとしたら……うちの猫くらいしか思い出せません。

今、生きることに迷走している人がいたら、猫と暮らすか、この映画を観ましょう。