くわこの日常

日常のインプットをアウトプットするブログです

人生に迷ったときは猫にきけ!

あなたは猫派? それとも犬派ですか?

 

早朝……まだ薄暗い時間。布団の中の心地よさ。

その心地よさを容赦なく破る、猫の声。

『さっさと餌を準備しろ~』

もうっ! もうちょっと寝かせて……。枕の横に座って見下ろさないで。

わかりました。準備しますから。あーそんなに足にまとわりつかないで。

 

私は猫派です。

毎日、猫の世話をしています。餌を準備し、水は欠かさない。トイレの掃除。ノミがいないかチェックし、病院で予防接種をする。

たまにはおもちゃで遊びます。でも気に入らなければ、目もくれてもらえません。

だっこしたくても、猫がその気にならなければ、逃げられます。

 

猫は自由です。自分の気持ちに正直です。

 

私が世話をしなければ、本当は生きていけないはずです。

それなのに、世話をしている私に対する遠慮。そんなものは、ノミの目玉ほども感じていません。

『世話をしてもらっている? いや、世話をさせてやっているのだ』

そのくらいに猫は思っているかもしれません。

 

たしかに、私がいなければ猫は生きていけない。でも、私も猫がいない生活なんて考えられない。私と猫は対等な関係です。

 

猫以外でこれだけ最強な生き物がいるでしょうか? 赤ちゃんはかなり近い存在です。

どんなに育児が大変でも、それを一瞬で帳消しにしてしまう。そんな最強の武器「笑顔」を赤ちゃんは持っています。

 

ところが、赤ちゃんや猫に負けないくらいの「大人」がいたんだそうです。かわいらしくもない、30代の男性です。

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今日、この映画を観ました。

「こんな夜更けにバナナかよ~愛しき実話」

主人公の鹿野靖明さんは、筋ジストロフィーで首から下が動かない。それでも、病院も家族の介護も拒否して、ボランティアの助けをうけながら、自立して生活している。

 

と言えば、なんだか美しい実話のようですが……まあ、わがまま言うわ! 夜更けにバナナ食べたいとか、いったい何様?

 

呼吸さえ不十分になって入院したのに、英検受験のためにむりやり退院してしまう。そばにいるボランティアがこう言います。

「鹿野さんのわがままは、命がけなんだよ」

わがままを言ってボランティアから見捨てられたら、死んでしまいます。それでも、自分の気持ちに正直に生きることを貫くのです。アメリカに行くという夢を捨てないのです。

 

逆に周りのボランティアの方が、正直になれません。相手に好かれたいからウソをつく。自分に対してウソをついて目標を見失う。

 

やりたくもない仕事をするとき、聞きたくもない話に愛想笑いをするとき。当たり障りなく、平和に生活していくには必要なウソです。私も、そう信じて生きています。

でも、それを真っ向から否定して、自分だけでなく相手にも正直さを求めたのが鹿野さんです。

「きみ、何をやりたいんだよ?」

こう聞かれて、即答できる人がどのくらいいるでしょう? 一つウソをつくと、そのウソのためにまた違うウソをつく。自分ではウソだと気づかない場合もあります。

何がウソで、どれが本当の気持ちなのか、わからなくなってしまう。「わからない」ということに、気が付かないふりをすることもあります。

 

迷走しているボランティアに鹿野さんはこう言います。

「悩んでいるなら、相談してくれよ。友達じゃないか」

24時間世話をしてくれているから、その恩返しに……そうではないのです。「友達」という対等な立場で、相手のボランティアを思いやっているのです。

 

こんなシーンがありました。

退院祝いのパーティーで、鹿野さんが「みんな、ありがとう」とお礼を言う。

それに対して、司会のボランティアが涙ぐみながら「こちらこそ、ありがとう」

自分の弱さも相手の弱さも、すべて認めて受け入れている。鹿野さんも、ボランティアも、同じように受け入れている。そんな感じがしました。

 

そんな鹿野さんが、唯一ウソをつき通したのが「おかあちゃん」に対してでした。

「くそばばぁ、もう帰れ!」

息子の病気は自分のせい……と責めているのではないか。もっと自由に生きてほしいから、家族の介護を拒否してしまう。「おかあちゃん」は、そんな鹿野さんの気持ちを全部わかっていたんだと思います。

 

相手のための行動に対し、何かの代償を求める。それは「お金」だったり、「自分に対する愛情」だったり、「将来の約束」だったり……。もっと単純に「笑顔」だったり。

それでは、のべ500人のボランティアは、鹿野さんから何を受け取ったのでしょう?

「自由で正直な生き方」「すべてを受け入れる強さ」ではないでしょうか?

こんなものを当たり前のように持っている人は、めったにいません。

もし、身近かにいるとしたら……うちの猫くらいしか思い出せません。

今、生きることに迷走している人がいたら、猫と暮らすか、この映画を観ましょう。