くわこの日常

日常のインプットをアウトプットするブログです

お正月なので1687年から続くテーマパークに行ってきました

「かしこみ~かしこみ~も申す~~」

ここは鹿島市祐徳稲荷神社の本殿。今日は会社の新年祝賀式。式の前に社員全員で参拝するのが、毎年恒例の行事です。

 

ファサッ、ファサッ。神主さんが参拝者に向かって御幣をふります。心清らかな気持ちで頭を下げます。

……下げますけど。どっちかっていうと気になっているのは、本殿の絢爛豪華さ。天井の色彩豊かな絵。巫女さんたちの舞の優雅さ。

 

お稲荷さんと言えば、朱色の鳥居を思い浮かべる人も多いでしょう。祐徳稲荷神社は三大稲荷の一つです。本殿はもちろん神社全体が朱色と金色に包まれています。これでもか! っていうくらい、極彩色で派手で豪華です。日本の「わび・さび」的な雰囲気というより、ちょっとアジア的な文化を感じます。祀られている神様の好みなんでしょうか? 

 f:id:kuwakonoko:20190114085652j:image

そんな神社は300年以上前の人にとって、心ウキウキ夢の国に見えたのではないでしょうか? それはまるで、現代のテーマパークのようです。大人も子供も一歩入れば、日常を忘れる場所です。

 

ということは、祀られている神様はディズニーのキャラクターたち? 神様、「不謹慎!

」って怒らないでくださいね。

だって、参拝に来る人は神様の存在を感じて幸せになります。ミッキーが手を振ってくれるとみんなが笑顔になる。それと変わらないでしょう?

それから、祐徳稲荷神社に祀られている「大宮売大神(オオミヤノメノオオカミ)」は、ダンスの神様ですよね。天照大神が天岩戸にこもっちゃった時に、岩戸の前で舞われたんでしょう? 天照大神をひきこもりから出しちゃうなんて、ディズニーランドのパレードも真っ青の楽しさです。

 

神様が祀られているので、神社の中は聖域です。ゴミひとつ落ちていません。もちろん神職の方々の、見えない努力があるのでしょう。宮司さんや巫女さんの衣装や立ち振る舞いにも、神聖なものを感じます。おそらく、テーマパークのキャストも、見えないところで様々な努力をしていると思います。だからこそ、お客さまは日常を忘れることができるのです。

 

参拝を終えて境内を歩けば、周りには「お守り」という名のキャラクターグッズがたくさん販売されています。

ここは「商売繁盛」の熊手が有名ですが……

「交通安全」

「合格祈願」

「家内繁栄」

「健康祈願」

「金運上昇」

「開運除災」

神様も大忙しですね……。

でも、「お守り」を持つことで、いつも神様を身近に感じることができます。

そうそう! 最近は「御朱印」というサインを集めるのも流行っていますね。神社オリジナルの御朱印帳も素敵です。後から見たときに、参拝の日を思い出すことができます。

 

さあ、そろそろ神社を後にしましょう。参道へ出ると、今度はお土産です。

祐徳みやげと言えば! 「糸切り羊羹」です。

筒に入った羊羹を下から押し出して、付いている糸でクルっと切って食べるのです。お値段も手ごろで、お土産にはピッタリです。昔から変わらない味もお茶によく合います。

私個人の好みですが、天津甘栗もマストです。甘栗、一年中売ってますが、祐徳神社の初詣で買わないと、何か忘れ物をしたような気分になります。カニと一緒で、甘栗って黙々と皮をむいてひたすら食べるのが楽しいです。だから、コンビニに売ってるむいちゃった甘栗は物足りないのです。

 

家に帰ってきても話がつきません。甘栗や羊羹を食べながら、「今日の神主さん、声がよかったねぇ」とか「お稲荷さんだからかな? 狛犬じゃなくて狐が鳥居の両側にいたね」

撮った写真をInstagramに投稿したり。朱塗りの祐徳稲荷は、かなりインスタ映えする神社です。足腰に自信があれば、「奥の院」に登ると絶景を見ることもできます。(ただし300mの登山道にはかなりの難所があります……というか難所だらけです)

 

昔の人も、たぶん同じようなことを話していたでしょう。(Instagramは無かったけど)

今日は佐賀市内から車で小一時間。もちろん日帰りです。

でも昔の人は歩いて、神社を目指したのです。立派な旅行です。

「一生に一度はお伊勢参り」といいます。昔の人々にとって、参拝は「テーマパークへの旅」だったのでしょう。

もちろん、現代の私たちにとっても「非日常」を感じる小さな旅行です。

 

日本には八百万もの神様がいらっしゃる。実はいつも身近に感じることもできるのだけど、たまには一大イベントにして神様ともっと仲良くなる。初詣や祭り、やっぱり日本人には欠かせない。

 

こいつは春から縁起がいい! 新春あんこ寄席

 

佐賀には夜中しか開店しないアヤシイあんこ屋がある。

店名を「夜のあんこ屋 よなよなあん工房」といい、夕方、FACEBOOKで開店時間が告知される。最近23時より早く開店する日は……ほぼ無い。にも関わらず、開店前に行列ができるのだ。

どうしてこんな時間に店をやっているのか? あんこ愛あふれる店主は、昼間サラリーマンとして仕事を持っている上に、一人でこの店を切り盛りしているのだ。

 

丁寧に贅沢に作られたぜんざいを、夜中にいただく。

「こんな時間に甘いものを食べる」

ぜんざいの美味しさに加えて、ちょっとした罪悪感がスパイスになる。

 

そんなよなよなあん工房と、落語家の林家あんこさんのコラボイベントが開催された。場所は「木と本」というカフェ。ロングステイOKで、リラックスできる大好きなカフェだ。

好きな場所で、好きなあんこを食べながら、好きな落語を聴く。

もう、私にとっては夢のような企画だ。

FACEBOOKで告知を見たとき、夜中にベッドの上で「バンザイ!」と小躍りしたのは、言うまでもない。

 

迎えた新春あんこ寄席の日。まだ松の内の1月5日。

18時からの30分はぜんざい食べ放題タイム。そうそう、これこれ! このやさしい甘さと、小豆の香り! この後、あんこスィーツプレートが準備されているので、ほどほどにしなければ……。

 

いったんぜんざいは撤収されて、林家あんこさんが登場!小豆色の着物を着た、二つ目の女流噺家さんだ。ホールと違ってカフェの寄席は、噺家さんとの距離が近いのが嬉しい。

演目に入る前の話を「まくら」と呼ぶが、今回は初心者でもわかる「落語のいろは」を話された。扇子と手拭いを使って様々な情景を表すが、それを説明する時の手の美しさ! 演目「初天神」に登場する子供も愛らしく、女性らしさ、女性の柔らかさを感じた落語だった。

 

その後はあんこスィーツの時間だったのだが……。準備が間に合わず、林家あんこさんが再登場。林家一門の話題など、めったに聞けないことを話して間を持たせるというハプニング。こちらにとってはおいしいハプニングだった。

30分近く遅れて「あんこスィーツプレート」が全員に配られた。1枚に盛られたスィーツは……

「スフレ風あんこチーズケーキ」

「おからパウダー入りブラウニー あんこ添え」

クリームチーズとあんこのカナッペ」

「あんこと赤米餅入りゴマプリン」

あんこはどんな物とも合う。そんな懐の深さを感じるスィーツだ。そう、「あんこ=和」だけではないのだ。

f:id:kuwakonoko:20190113161351j:image

美味しいものを楽しんだ後は、よなよなさんと林家あんこさんのトークセッション。

飄々とした雰囲気のよなよなさん。その雰囲気を受けながら、笑いを引き出すあんこさん。

「最初、依頼のメールが来たとき、何かアヤシイ人かと思ったんですよ。夜しかやってないあんこ屋ですよ? 怪しくないですか?」

「あんこが出てくる落語とか無いかな? って思って検索したら、『林家あんこ』って出てきて……。それからずーっとチェックしてました」

「えーっ! 2年も前からネットストーキングされてたんですか?」

(会場爆笑)

「よなよなさん、ちょっと小噺をやってみませんか?」

「次回は、ぼくも落語に挑戦しようかな?」

「高座に上げるかどうかは、私の判断ですからね」

(再び爆笑)

 

林家あんこさんの2席目は「代脈」

ちょっとお間抜けな新米医者が登場する演目。落語には「ちょっとダメな人」が登場するが、そのダメさ加減が憎めないというか、他人事ではないというか……。笑いながらも、ちょっぴり共感したあとに、またまたサプライズ!

 

「あ、さて、さて、さては南京玉すだれ♪」

全員の手拍子に合わせて、林家あんこさんが南京玉すだれを披露。まだ練習中という事で、観ている方にもちょっぴりドキドキが伝わってきたが、それはご愛嬌。

 

最後によなよなさんが挨拶。

「私自身がこのようなイベントを企画開催するのは初めてでした。30人分のスィーツを一度に作ったのも初めて。いろいろなハプニングがありましたが、皆さんに助けられてなんとかイベントを終えることができました。初物尽くしで大変でしたが、やってみてわかった事もたくさんあり、次回はもっとスマートにやれる感触が得られたのは収穫でした」

 

落語の魅力は、噺家と観客が作るその場の空気感が大切だと思う。食事も、その場の雰囲気でより美味しくなるし、その逆もある。小さなカフェでたった30人の観客のために開催される寄席。それはものすごく贅沢な時間だった。企画開催してくれたよなよなさん、本当にありがとう。しかも……

 

落語とあんこ。人の笑顔を引き出す最強タッグが、また楽しめるらしい。今年もいい一年になりそうだ。

 

2019年の目標は書くこと 書き続けること

新年明けまして、おめでとうございます。初めてブログを開設しました。

 

新年からブログを開設する人って、多いのかな?

きりもいいし、新たな気持ちで始めれるし。

逆に、3日坊主に終わる確立も高いかも。だいたい、正月から何か始めて続いたためしが無い。

 

じゃあ、どうしてブログを開設したのか?

「去年始めたライティングをこのまま続けよう」

今の目的はこれだけだ。

きっかけは、昨年9月から始めた天狼院書店のライティング・ゼミ。毎週月曜日23:59までに、2000文字の記事を提出しなければならない。もちろん義務教育ではないので、未提出でも別に怒られるわけではない。ただ、私にとっては安くない受講料を払っているのだ。払った分の元はとりたい。

自宅のPCは壊れたままだったので、最初はネットカフェにこもって記事を書いていた。1時間で終われば、357円。3時間以内だと880円。飲み物はあるし、いらない雑音がなくて集中できるので、ネットカフェは意外に快適だった。だらだらと書くより、時間に追われるくらいの方が集中できる。

……とはいえ、締め切りまで30分をきると、焦る。読み返す時間も必要なのだ。鼻毛がないか(ゼミでは誤字脱字のことを鼻毛問題という)、読みやすい表現か、読後感はいいか……?全部ひっくり返したくなることもよくあるが、最後は覚悟を決めて「えいやっ!」と投稿する。はぁはぁと息が上がるような気がする。

他人から見たら、たぶんバカだと思う。受講料+ネットカフェ料を支払って、苦しい思いをしている。でも、私から見れば参加料を払って42.195kmも走るとか論外である。他人の目を気にしても仕方ないということだ。

そのライティング・ゼミも12月で終了した。残念ながら条件をクリアできなかったので、認定書はもらえない。

でも、これで終わるのはもったいないような気がするのだ。

ゼミでも、「量が質を担保する」と聞いた。たくさんの量を書かなければ、質は上がらない。言い方変えれば、量を書けば質も上がるという事だ。(もちろん方法はあるが)

せっかく「書く習慣」がついたのに、また書かなくなったら書けなくなるだろう。私はちゃんと体得したいのだ。そのために、私にとっては決して安くない受講料を払ったのだ。

仕事で(ほぼ)毎日書いている日報は、せいぜい350~400文字くらい。Facebookだと長くて200文字くらい?それ以上長い文章を書く機会は……無い。

でも、目指しているのは最低でも2000文字が、「書ける」ようになること。書く機会が無いなら、自分で作らないと仕方ないので、ブログ開設というわけだ。

 

そこまでして、どうして書けるようになりたいのか?

「読み・書き・そろばん」という言葉がある。何事もこの3つが基礎といわれる。

「読み」これはある程度クリアできていると思う。「そろばん」はパソコンやスマホがかなりカバーしてくれる。問題は「書き」

定年後に何かしらの方法で稼ぐためには、この「書き」をクリアすることが不可欠だと思うのだ。最初はコンビニにバイト行こうとか、軽く考えていた。でも5年後にはコンビには無人化される。雇われるのではなく、自分で稼ぐ。年金で足りない分を稼ぐ。

 

大きな目標は「自分で稼ぐ」

でも、2019年はとにかく書く!書く習慣を続ける。

 

こんな事を年末考えていたら、instagramのお友達から突然メッセージがきた。

「【さが街なかかわらばん】の市民ライターをやってみませんか?ボランティアなので興味なかったら断ってもらって大丈夫ですよ」

もちろん返事は「興味あります!」その友達はライティング・ゼミのことは知らなかったのに、声をかけてくれたのだ。神様はちゃんと見てくれている!